『現代のことば』

活字文化 98.8.3

 活字文化という言葉には、居並ぶ書籍を背景にしかめ面をしている学者先生とか、反古になった原稿用紙の中に埋もれている小説家を連想させるところがある。活字とはすなわち本であり、文字の文化全体の象徴でもある。本と活字は抜きがたく結びついて誰も疑うことを知らない。ところが、今、活字にこうした文字文化、書籍文化の意味全体を背負わせるのは少々無理がある。本を作るときに「活字」が一本も使用されないからだ。

 それでは、何が「活字文化」を支えているのか。コンピュータである。すでに、新聞製作がコンピュータを駆使するようにかわって二〇年近くが経過している。中小印刷業界でもこの一〇年間で活字からコンピュータへと急速な転換がおこなわれた。一口でこう言ってしまうと、本当になにげない話だし、本の向こう側で活字がコンピュータにかわられようと読者にとってみればどうでもいいことかもしれない。しかし、現場は大混乱だった。活字を扱っていたのは職人さんである。活字の棚を前に一本一本活字を拾い、ページに組み上げるのがすべて手作業という世界だった。それが一夜にしてコンピュータにかわった。長年活字を拾ってきた手は、コンピュータのキーボードをたたかねばならなくなった。それも、パソコンではない。最先端のユニックスワークステーションをである。プロの仕事には本来アマチュア向けのパソコンでは耐え難いからだ。

 それでも、日本の職人さんは黙々と新しい仕事を覚え、若いオペレーターたちの手本となっていった。印刷は単に文字を並べるだけではできない。読みやすくするための目に見えないノウハウがぎっしりつまっている。それは活字でもコンピュータでもかわらない。そうしたノウハウをコンピュータのオペレーターに伝承していったのは、そうした活版職人からの転職者だった。活版のようにコンピュータで印刷すること。それがこの一〇年間の印刷屋の最大の目標だった。そしてそれは達成された。

 活字文化という言葉がいまだに書籍文化・文字文化全体の意味を担いうるのは、活字でもコンピュータでもそのできあがり具合にはほとんど差がないからだ。読者は誰もその変化に気がつかなかったのだ。活字からコンピュータによる印刷にかわったとき、そのしあがりが活字のものと大きくかわれば、活字文化という言葉は郷愁をもってかたられこそすれ、文字文化という意味づけを継承できなかったのではないか。そこには、活字をコンピュータにもちかえた職人さん達の血のにじむような努力があったことを知って欲しい。

 今、時代はかわった。印刷屋に活字は一本もない。かわって、コンピュータが一人に一台に近い台数がある。若い人はもちろん、定年間近の職人さんまで、コンピューターを使いこなしている。そうでなければ、「活字文化」は維持できないのだ。

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