『現代のことば』

オンラインジャーナル 99.9.17

 オンラインジャーナルというのは、インターネットを通じて雑誌を配布するシステムのことだ。雑誌の内容が電話線を通じて、自宅のコンピュータに送り込まれてくる。もちろん、紙は必要としない。プリンタから出力してもよいが、コンピュータの画面に表示された内容を読むのが本来だ。インターネットが普及しだした当初から、私もいずれはそういうものがマスメディアのひとつとして成立するとは思っていたが、遠い未来だろうと考えていた。いくらインターネットブームだと言っても、コンピュータ画面の上で文章を読むなどということがそう簡単に一般化するとは思えなかったのだ。

 だが、時代は待ってくれない。今、海の向こうでは、猛烈な勢いでオンラインジャーナルが普及しだしている。

「アメリカの大学ではもう文献調べに図書館なんかに行かないんだよ。全部、自分の部屋のコンピュータから最新の情報がとりだせる。なにせ、学術雑誌はほとんどすべてインターネットで読めるようになっているんだから」

 興奮気味に語る大学の若い先生に促されて、アメリカの学術雑誌のオンラインジャーナルに接続してみて驚いた。確かにすさまじいことになっている。名だたる学術雑誌が軒並みオンライン化されて、インターネットで、そのすべての内容が検索、表示できてしまうのである。しかも画面の上でも、読みやすくする工夫が随所にあって心憎い。

 もっとも、オンラインにしたからといって、元になった紙の雑誌がなくなったわけではない。紙の雑誌は今まで通り作り、それと同じ内容の物をインターネットでも読めるようにするというのが現状のようだ。短い速報を読んだり、大量の文献検索などにはオンラインジャーナルを使い、じっくり読むときには紙の本を使うというように、オンラインと紙はそれぞれの長所をいかしながら共存している。アメリカの歩んだ道は日本の歩む道。おそらく日本でも紙の雑誌のオンラインジャーナル版制作は急激にすすみ、紙版とオンライン版の共存というアメリカの状況にただちにおいつくと思われる。

ただ、そうした共存の時代もいつまで続くかはわからない。今は画面上の文字は読みにくいが、オンラインでの表示技術はまだまだ向上するだろう。いずれオンラインで読むことに慣れた世代が長ずれば、紙の本や雑誌はなくなってしまうかもしれない。

 東アジアの文字は、当初甲骨に刻まれていた。やがてその記録媒体は竹簡、木簡、そして帛(書写用の絹布)へとかわったが、紙が発明された後は竹簡や帛に文字が書かれることはなかった。紙の発明後、二〇〇〇年。紙が帛にとってかわったように、インターネットは紙にとってかわるのだろうか。

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