「視点」2003.1

 ITリテラシーの興亡


 もう2年ほど前になるだろうか、当時の通商産業省肝いりでIT講習会が行われた。日本全国津々浦々で、老若男女が講習会でコンピュータの前にすわった光景を今でも覚えておられるだろう。これはITリテラシーを国民に浸透させ、IT立国日本を盤石にするためのものだったが、あるいは、ITリテラシーを身につけた人々がコンピュータを買ってくれれば、電子工業の進展に資するということが主目的であったのかもしれない。

 私は、この試みには期待していた。私たちより上の世代のITリテラシーの欠落が、日本の産業の停滞を招いているのではと常々疑っていたからだ。日本はいくら近代化したといっても、基本的には長幼の序を重んずる。いくらITだ、情報産業の育成だといっても、日本を動かしている高齢の方々にITリテラシーがなければ、適切な振興策がこうじられるわけがない。印刷業界にいてつくづく感じるのは、業界そのものはコンピュータの導入とともに完全なIT産業になっているのに、業界団体の上層部がまったくコンピュータに対する理解力を欠いているということだ。コンピュータを使えない人が、コンピュータの行く末について論じられるはずがない。事実、的はずれな政策がうちだされてくる事が多かった。

 一業界団体にしてこうだから、日本全体からうみだされるITリテラシーにもとづかないIT政策の無駄ははかりしれないものがある。すくなくとも、こうした指導層にITリテラシーを身につけていただければ、少しはかわるのではないかと期待していたのだが、結果はご存じの通り、惨憺たるモノだった。そのときは熱心に勉強されたし、何人かはITリテラシーを身につけられたのだろう。しかし、大部分の方は家にかえり、会社にかえって、コンピュータを使わなければ、元の黙阿弥だったようだ。

 しかし、こういう書き方では、高齢の方にいささか気の毒ではある。私も中年も後半にさしかかって思うのだが、年をとってから、新しいことを覚えるのは非常につらい。現在高齢の方々というのは、コンピュータは影も形もなかった時代に、青春時代を送られたわけだから、どだいITリテラシーを期待するのは無理がある。

 欧米の高齢者はどうだろう。私がみるところ、高齢の方でも比較的ITやコンピュータに親しんでおられるような気がする。これは、よく言われているようにタイプライターの経験が大きい。タイプライターは欧米では100年も前から普及しており、すくなくとも業界の長になるような人でタイプライターを打てない人などありようもない。パソコンはその慣れ親しんだタイプライターに画面がついただけだから、比較的親しみ易かったのだろう。今、欧米の50代、60代といった世代の方が、軽快にパソコンを操作しておられるのには、青年時代のタイプライター経験が大きくものを言っている。

 それでは、日本のITは今後絶望なのだろうか。それはありえない。すくなくとも、わたしたち40代の経営者でコンピュータを使えないという人はまずいない。学生時代にインベーダーゲームを体験したわれわれの世代はコンピュータに馴染みが深いし、パソコンにも慣れ親しんでいる。10年たてば、われわれが50代となり、今、60代、70代の方は、さらに高齢になられて一線を退かれるか、申し訳ないが、世をさられていることだろう。50〜60代の社会の決定権を握る世代が、十分なITリテラシーをもつことになるわけで、その時代はやはりIT社会そのものを次の段階にすすめるだろう。おそらく、90年代の欧米はタイプライターの経験がものを言って、一足はやくその時代に突入していたと思われる。だからこそ90年代は欧米がITによる好景気を享受しえたのである。その間、日本は失われた10年として、不幸を託つばかりだった。

 さてその次の世代だが、これはまた全然違う世代をうみだしそうだ。私たちの子供の世代だ。

 私の長男は今年9歳になった。最近、テレビゲームを作ることに熱中している。テレビゲームで遊ぶのではなく、作っているのだ。もちろん、純粋なプログラム言語を操るのはいささか無理があるので、市販のゲーム作成ソフトを使っているのだが、ゲームを作るとなると、かなりのITリテラシーは必要となってくる。主人公をしゃべらせようとすれば、当然、キーボードを使って入力しなければならないし、ゲーム画面を設計するためには、マウスの左クリック、右クリックはつかいこなさねばならない。それにゲームというのは、いわばイベントドリブン型のプログラム作成そのものである。主人公とか、家とか、宝箱とかのアイテムを配置し、それにふれると、なにかイベントが生起するというわけである。

 私が9歳であったころには、コンピュータゲームを作るなどまったく不可能だった。もちろん、家庭でコンピュータなど使えるはずもなかったから当然なのだが、もしあったとしても、いざ、目の前にコンピュータを置かれて使えたかとなるとおそらく無理だろう。ただ、わたしたちの世代は、テレビやステレオといった電化製品をこともなげに使いこなすとして、その上の世代からは畏怖の目でみられた子供たちであったことを思い出す。もうすこし時代がくだると、赤ちゃんや幼児がビデオカセットを自由自在にあやつるようになったと、話題になったこともある。

 子供は、目の前にあるものを意外になんでもつかいこなす。箸や鋸など、訓練がいるものより、単にスイッチをおすだけで使えてしまうビデオやステレオの方がはるかに子供にとっては馴染みやすく使いやすいだろう。そういう意味では、我々の世代はAV家電製品に対するリテラシーがそなわっていたともいえる。

 長男がうまれたころ、すでに我が家にはデスクトップパソコンとノートパソコンと2台のパソコンがあった。そして、長男はしゃべるよりはやくコンピュータの前にすわって、マウスと戯れ、キーボードを叩いていた(もちろん、単に叩いていたのである)。CD-ROMがちょうど話題になりだしたころで、子供向きのマルチメディアソフトといったものをずいぶん買ってあたえたものだ。彼らが物心ついたころには、常時接続のインターネットがアプリオリに存在していたはずだ。コンピュータにすわって、ブラウザをたちあげ、ハイパーリンクをたどっていけばなにかおもしろいものにでくわすというのは、教えたわけでもないのに、自然に知っていた。 

 たぶん、この世代のITリテラシーは、われわれのように操作するというようなものではない。おそらく皮膚感覚と同化してしまう。めがねが、弱視者にとって皮膚と同化してしまっているように、インターネットの世界が自分の世界の延長となってしまうだろう。  この世界が何をうみだすかは、私にもよくわからない。間違いないのは、彼らのITリテラシーの標準はわれわれよりもはるかに高度で、はるかに人間の根元に関わるものであるだろうということだ。ウエアラブルコンピュータと今構想されているような、常にコンピュータを携帯し、ディスプレイはめがねそのものといった環境が普通になったときITリテラシーの意味はまた次の階梯に進んでいることだろう。長男をみていて、かれらの行く末に思いをはせるとき、いずれは、かれらのITリテラシーが、とんでもない水準になるだろうことは容易に予測できる。

 彼らはこう言うことだろう。

 「おとうさんみたいなウエアラブルコンピュータもつかいこなせない20世紀生まれの人間がいばりくさっているから、日本はだめなんだ」

初出:科学技術振興機構発行「情報管理」

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