「視点」2003.1
一千年の責任ふたたび
「情報管理」誌から最初に執筆依頼があったのは5年前のことだった。正直、なぜ私に「情報管理」から執筆依頼がと不思議に思ったものだ。私は印刷屋。紙の上にインクをのせて、本をつくることが仕事だ。コンピュータの上での情報流通に関する専門誌である「情報管理」とは住む世界が違う。それでも、紙の情報の側の人間と、電子の情報の側の接点になれればと原稿をお引き受けした。その後依頼は1回きりではなかったから、それなりにお役に立てたのだろうか。
投稿させていただいた中で私自身気に入っているのが「一千年の責任」というコラムで、丁度21世紀がはじまったころに書いたものだ。再建された薬師寺の西塔は一千年かけて、瓦の重みで屋根がしなり、建築として完成するという話からはじめて、今のコンピュータがつくりだす情報データベースの一千年後の責任について書かせていただいた。21世紀初頭に作られるデータは、20世紀までの紙媒体による情報保存の時代から、コンピュータによる21世紀以後情報保存の時代の過渡期にある。今、ボタンを掛け違えたようなデータを作ってしまえば、それが前例となり、永遠に受け継がれることにもなりかねない。だからこそ、21世紀初頭を生きる今の我々は一千年後の責任を負っているのだ(視点 2002年 9月)、というものだ。
「情報管理」50周年という節目の年に、やはりこの一千年単位の情報のあり方ということを、すこし気にかけて欲しいと思う。確かに「情報管理」は今を生きる雑誌である。紙で作られた雑誌は今を生きて、読者に情報を伝えて生涯を終える。捨てられるか、本箱の片隅で整理されないまま死蔵される。しかし、すべての紙媒体は情報を伝えるとともに保存するという役割をも担っているのだ。「情報管理」とて例外ではないだろう。今を生きた雑誌のうちいくつかは、図書館や研究室で整理されて長い眠りにつく。それが役に立つのは十年後か百年後かあるいは一千年後か。あるいは最後まで役に立たないかもしれない。それでも、未来の人の為に残しておかねばならない。
そして、「情報管理」だからこその一千年の責任がある。21世紀初頭、情報を語ることは、未来のかなり長期間、情報のあり方を規定する。情報がどのように作られ、電子化されていったかが、「情報管理」には記録されている。総てが電子化情報という時代になったとき、この過程を記録したことになる「情報管理」保存の重要性は語っても、語りすぎることはない。
それにしても一千年後に残るためには、紙媒体か、電子媒体かどちらがいいのだろう。ついこの間まで、残るということに関しては紙媒体の方が圧倒的に有利と言われた。今、パーペチュアルアクセスの概念が出て、電子媒体でも未来に残すことが試みられている。しかし、一千年間情報を保持し、検索機能を維持し、適切に表示し続けることが可能だろうか。これからどんな技術がでてくるかわからない。どんな技術が検索の世界を席巻するかわからない。むしろ、紙媒体のような物理媒体を使った方が、一千年後にそのときの技術にあわせて再データベース化しやすいのではないか。
もちろん、一千年後に必要かどうかもわからないのに永遠に紙で発刊して欲しいというのは無理があるかもしれない。それでも紙媒体で出し続けていただくことを希望したい。印刷屋の世迷言だが。
初出:科学技術振興機構発行「情報管理 2008年1月」
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