上代文学会

(1) 大会案内

平成22年度 大会案内
期  日平成22年5月15日(土)、16日(日)、17日(月)
会  場奈良大学
(近鉄京都線「高の原」駅からバスで10分)
〒631-8502 奈良市山陵町1500
電話 0742-41-9514(上野誠研究室)
日  程
― 15日(土) ―
理事会(正午〜午後1時30分)
奈良大学 大会議室
公開シンポジウム(午後2時〜4時30分)
奈良大学 講堂
学会挨拶
代表理事 早稲田大学教授 内藤 明
挨  拶
奈良大学学長 石原 潤
テーマ「平城京研究と木簡研究の最前線―新たなる上代文学研究のために―」
平城遷都をどう考えるか
京都教育大学名誉教授 和田 萃
木簡研究が切り拓く文学研究
大阪府立大学教授 村田 右富実
今後の平城京研究と木簡研究
奈良国立文化財研究所史料研究室長 渡辺 晃宏
司会 奈良大学教授 上野 誠
上代文学会賞贈呈式(午後4時30分〜4時40分)
総会(午後4時40分〜5時30分)
懇親会会場 菊水楼
○懇親会(午後6時20分〜8時30分)
「近鉄奈良」駅から市内循環ゆきバスで3分、「県庁前」下車、徒歩3分。
〒630-8301 奈良市高畑町1130
電話 0742-23-2001
会費 8000円
― 16日(日) ―
研究発表会(午前10時〜午後4時40分) 奈良大学 C‐一〇二教室
《午前の部》
秋山春山譚―「昔」の位置づけ―
京都大学大学院生 村上 桃子
(司会) 早稲田大学教授 松本 直樹
葛城の一言主之大神
早稲田大学大学院生 藤澤 友祥
(司会) お茶の水女子大学教授 荻原 千鶴
――昼食――
《午後の部》
書紀歌謡1番の「廻」字についてー所謂β群の字音表記の在り方から考えるー
武庫川女子大学大学院生 亀山 泰司
(司会) 上智大学教授 瀬間 正之
「ますらを」と「ますらをと思へる我」
フェリス女学院大学非常勤講師 太田 真理
(司会) 日本大学教授 梶川 信行
隣の衣を借りて着なはもー『万葉集』東歌三四七二番歌の解釈―
武蔵野大学非常勤講師 渡部 修
(司会) 早稲田大学教授 高松 寿夫
万葉集巻七・人麻呂歌集「巻向・三輪歌群」試論
東京女子大学教授 鉄野 昌弘
(司会) 日本女子大学教授 平舘 英子
― 17日(月) ―
臨地研究 「馬場南遺跡・平城宮大極殿・馬見丘陵古墳公園・当麻寺」(午前八時三十分〜午後五時)
一、集合場所 奈良県物産館前(近鉄奈良駅、行基像前から徒歩一分)
一、集合時間 午前八時三十分
一、見学コース 馬場南遺跡・平城宮大極殿・馬見丘陵古墳公園・当麻寺(一次解散 近鉄大和八木駅、二次解散 近鉄奈良駅)
一、案内 辰巳和弘(同志社大学歴史資料館教授)・井上さやか(県立万葉文化館主任研究員)
一、費用 8000円(バス代・見学・昼食代を含む)
一、人数 郵便振替での参加費用受領順に45名で締め切ります。
一、解散時刻は、道路事情で前後します。帰りの切符は余裕をもって手配して下さい。
発表要旨 秋山春山譚―「昔」の位置づけ―
村上桃子
古事記中巻応神条の末尾には「昔」から始まる天之日矛と秋山春山の話が記される。この両譚の位置づけについて、従来応神条の文脈から遊離した付加的な部分とされてきた。発表者は天之日矛譚が仁徳条につながる難波と日(太陽)の神話であり、下巻に連なる神話部分であることを考察した(「天之日矛譚―『古事記』下巻への神話として―」『萬葉』二〇三号 二〇〇九年一月」)。その後続の秋山春山譚も同様に下巻とのつながりを有する譚であると考える。
ここで『古事記伝』が「此段の故事凡て神代めきたるは、いといと上代の事とぞ聞ゆる」と述べていることに注目したい。ここに上巻に見られる話型(八十神の求婚・兄弟争い・丹塗矢型神婚)や表現が散見することは、古事記の中でも上巻に並ぶ神話の質をもつことを示している。本譚は神を主体とした物語であり、上巻にあらわれた人間を指す「青人草」の呼称がみられることもそれを端的にあらわすだろう。 秋山春山兄弟の名は従来、風雅の点から捉えられることが多かった。しかし春秋があらわす最も根本的な意味は農耕の周期であり、山の神と農耕のかかわりは深い。母親の協力を得て春山之霞壮夫が伊豆志袁登売神と神婚を遂げるのは、その名が新生・更新をあらわす「春」であるためではないか。そこには下巻という新たな周期をもつ時代のはじまりとが重ね合わされ、中巻末においてそれを祝福する意図がみとめられるのである。
「古」が過去から現在へと続く時間であるのに対し、「昔」は恣意的な過去としてある。ここの「昔」は新羅に端を発する過去が、親征を経ることで倭の時間軸に編入されるそれと位置づけられる。倭の国つ神の代表的存在である山の神・春山之霞壮夫と、新羅の王子・天之日矛が将来した宝の娘・伊豆志袁登売神との神婚は、そのふたつの時間軸が結合し、倭に定着する象徴ともいえる。
このように中巻末における「昔」の譚は、下巻始発のための予祝の意味をもつ挿話としてあると考える。

葛城の一言主之大神
藤澤友祥
当該条は、『古事記』下巻で、託宣や夢にではなく、神が現実に現れる唯一の物語である。下巻は「人の代」と評されることが多いが、そのような下巻の中で、神が登場する当該条の担う意義について考察する。当該条は『日本書紀』にも類話が記されているが、両書間の差異は少なくない。『古事記』では当該条の直前に葛城山の猪の記事が配されている。『日本書紀』では一事主神の記事の後、吉野行幸記事を挟んで葛城山の猪の記事が記されており、その内容にも異同がある。『古事記』については、猪は葛城山の神であり、その神の掌握に失敗したとする指摘がなされている。山で猪に出会うという文脈展開からは、中巻においてヤマトタケルが伊服岐の山で猪に出会う場面が想起される。しかし、ヤマトタケルの場合、誤った言挙げによって死への展開がもたらされているのに対し、葛城山の猪の場合、そのまま当該神話に接続し一言主之大神と雄略天皇との調和が描かれている。同じような文脈展開から全く異なった結果が導かれているのである。ここに中巻と下巻との、神と天皇の関係の変容が示されていると考えられないだろうか。当該の一言主之大神の場合、畏敬すべき存在でありながらも、あくまでも王権の側からの働きかけで祭祀(掌握)され得るものとして描かれていると捉えられないか。当該条を雄略個人の資質に帰して結ぶ(『日本書紀』)のではなく、神の顕現で閉じる(『古事記』)のは、その関係がある特定の天皇つまり個の資質の優劣ではなく、神と天皇のありかた全般について語る目的があったからであろう。神が偉大であればあるほど、それを祭祀し得る天皇もまた偉大である。また、雄略天皇の発言中に「宇都志意美」とあり、君臣の関係にも言及している。神と天皇の偉大さを強調し、君臣のあるべき姿を神話によって語り、神と天皇の関係を確立するのが当該条の狙いであると考える。

書紀歌謡1番の「廻」字について──所謂β群の字音表記の在り方から考える──
亀山泰司
当該歌謡第五句「贈廼夜覇餓岐廻」の「廻」(上代資料中の孤例)については、古写本などの訓みが悉く「ヲ」であるにも拘らず、大野晋(1953)が漢字音の面から「ヱ」と訓んで以来、これを採用するテキストが少なくない(定本・大系・新編全集)。しかし、以下の諸点をあらためて踏まえると、漢字音の面から見ても、オ列の「ヲ」に〔灰〕韻字の「廻」が充てられた可能性は十分ある
@ 当該歌謡においては、「ツ」に次清音字の「菟」が用いられ、その他にも「β群には見らα群には見られない字種」(句、茂、毛など)が高い密度で用いられる。したがって、当該歌謡の所属はβ群と見てよい。
A α群では、〔咍〕・〔灰〕両韻字(違いは開合のみ)がエ列乙類(及びア行のエ)専用であるのに対し、β群では、オ列にも〔咍〕・〔灰〕両韻字が多く使われる(苔43、廼21、耐6、倍6、陪1、梅1)。就中、たとえば「倍」字の場合、エ列(「へ」が5例、「べ」が3例)とオ列(「ホ」が6例)に殆ど拮抗して使われる。
B 「日本書紀には新来の漢音系字音を背景とする仮名が使用されるが、そのうち、β群は古事記と共通する呉音系字音を背景にした仮名(及び一部には更にそれ以前の仮名をも)を混在させるものであった」(沼本1986)という把握は概ね首肯でき、オ列に使われる〔咍〕・〔灰〕両韻字は、「それ以前の仮名」(即ち呉音系字音より更に以前の古音を背景にした仮名)に該当すると考えられる(沼本1997など)。
結局、「廻」の呉音が「ヱ」であっても、紛れもなくβ群の当該歌謡においては、「ヲ」に「廻」が充てられた可能性を十分に想定し得る。その一方、各者の指摘の通り、語法の面から言えば、体言に後接する「ヱ」(助詞)は例が皆無であって、認定し難い(時代別国語大辞典も認定していない)。「ヲ」であれば、終助詞と見るか、間投助詞と見るか、係助詞の終止用法と見るかはさておき、「文末にあって活用語の連体形・体言につき、文の内容に対する確認を表わし、詠歎の意を添える」(時代別829頁)用法として、よく理解できる。以上に鑑みて、当該箇所の訓みは「ヲ」でよい(古写本などの通り)。

「ますらを」と「ますらをと思へる我」
太田真理
「ますらを」とは元来、身体的・精神的に勇猛ですぐれた男性の意であり、のちに官人の意としても用いられたとされるのが一般的な理解である。ところが、万葉集の例を探ってみると、他者が誰かの「ますらを」としての輝かしい姿を詠むというよりは、「ますらをと思へる我」という形で、自らを「ますらを」と規定しながらも、「ますらを」らしからぬ恋の思いに沈潜し、思い悩む心の状態をうたったものが多い。そもそも「ますらを」の理想とはどのようなものであったのか。本来的に持っていた語義を確かめるとともに、それが相聞歌の用語として詠まれるときには、どのような言葉と結びつき、いかなる表現性を持っていたのかを分析し考察する。
中でも注目したいのが、柿本人麻呂の所謂「石見相聞歌」である。「石見相聞歌」においては、その第一歌群と第二歌群のあり方に大きなギャップがあるとされてきた。第一歌群の、山をも動かそうと呼びかける男の雄々しさに対し、第二歌群の「ますらをと思へる我」の涙は、女々しく迫力に欠けるものとして、それぞれの歌の評価にまで影響を与えている。
しかしそれは、「ますらをと思へる」というただし書きをいれることで、「ますらをらしさ」という制約を一旦取り払ったところに、男の、より哀切な恋の心情を逆説的に強調したものと解すべきであろう。人麻呂は、「ますらを」の意識をめぐって一人の男の中にある、相反するかのように見える二つの心の有りようを二つの歌群に託したのではないか。
さらに、相聞歌に表われた「ますらをと思へる我」の歌の表現は、一方で「たわやめ」の恋する様態と近接すると考えられる。「ますらを」の歌表現を考えることは、女性の相聞表現を考えることに繋がることについても触れていきたい。

隣の衣を借りて着なはも―『万葉集』東歌三四七二番歌の解釈―
渡部修
『万葉集』東歌三四七二番歌「人妻とあぜかそを言はむしからばか隣の衣を借りて着なはも」の下の句は、古注以来「隣の衣服を借りてきることがないだろうか、いやあるではないか」と反語に解するのが一般である。この解は、近隣での衣の貸し借りを「常にあった」ことと推定し(『釈注』)、人妻に交わる禁忌と日常よくあることとを対比させた点に歌の「戯笑性」を認めようとするものである(『全注』『釈注』))。
しかし、『万葉集』中、キヌ・コロモを貸し借りする例は当該歌を除いて三例しかない。しかもそれらは皆、妹背の間の貸し借りに限られる。他人同士のキヌ・コロモの貸し借りを詠んだ例は当該歌以外には存在しないのである。
そもそも、古代において衣服は、それを着る人の魂が籠もるものと信じられていた。「袖」は幣として神に捧げられもしたし、恋しい人と夢の中で出会うために返して寝ることもあった。また、同じ東歌三三五〇番歌の「君が御衣しあやに着欲しも」は、自らの恋の成就を相手の衣服を着たいという歌句に託して願っている。これもまた、キヌ・コロモの貸し借りを妹背の間に限る集中の用語例に異ならない。
こうしたキヌ・コロモが、他人同士の間で日常的に貸し借りされたとは考えがたい。「隣の衣を借りて着る」ことは、逆に一つの禁忌であったとすべきである。そしてそれは、成句として広く知られたものであったとも思われる。それ故にこそ、人妻であることをことさらに言い立てる相手への揶揄として、あたかも禁忌ではないかのように転じて用いられた。当該歌の「戯笑性」は、禁忌と日常とを対比させた点にではなく、同じ禁忌の一方を禁忌でないと転じて用いたところに起因しているのである。「隣の衣を借りて着なはも」は、そのように解釈し直されるべき歌句であると考える。

万葉集巻七・人麻呂歌集「巻向・三輪歌群」試論
鉄野昌弘
万葉集中で、巻向周辺を歌った歌は、人麻呂歌集非略体歌に集中しており、これを「巻向歌群」と称することもある。ただしそれは巻七・十・十一などに散在しているし、中心となる巻七の中でも「詠雲」「詠山」といった題のもとに、あちこちに配置されているのであって、まとまった、例えば「石見相聞歌」群のような扱いができるわけではない。人麻呂歌集で、もとどのような状態だったかを問題にしても、臆測の域を出ないだろう。
しかし「巻向歌群」に独特の歌が多いことは確かである。特に巻七の歌は、大きく@天候のダイナミックな変化を描き取る自然詠、A土地ぼめの歌、B亡くなった人に思いを馳せ、人の世の無常を歌う歌、というグループに分けることが出来、それぞれに非常に特徴的である。しかもそれらは、互いに表現上の関係を持っていることが看取される。加えて、Aの中に、巻向山と三輪山との続き具合の良さを歌う作(一〇九三)があるのに注意される。それは、他に三輪の檜原を歌う「詠葉」二首(一一一八〜九)があって、明らかにBと主題を共通することによる。これらを含めて、「巻向・三輪歌群」と見る時、巻七の中に散在するままに、歌が互いに響き合っているさまを、よりはっきりと見て取ることができると考える。
かつて武田祐吉氏は、巻向における、人麻呂の悲劇的な恋を、この歌群の背後に想定した。しかし「古にありけむ人」(一一一八)から考えると、これらの歌は、巻向・三輪という古い来歴を持つ地に立って、その景を詠じつつ、この世を支配する時間に思いを及ぼすもののように思われる。これらの歌には、「動乱調」と言われるような、人麻呂作歌との方法的関連を持つ歌が含まれている。主としてその観点から、巻七「巻向・三輪歌群」の歌々を読み直してみたい。

☆返信用ハガキについて
・大会参加の申込みは、同封のハガキ(奈良大学文学部上野誠研究室宛)に必要事項を記入して、4月21日(水)までに必ず届くようにお送り下さい。
☆費用について
・費用(研究発表資料集代1000円、懇親会費8000円、16日昼食代1000円、臨地研究参加費8000円)は、同封の振替用紙を使用し、郵便振替で、口座名「上代文学会奈良大会」(口座番号00930-4-89285)宛に、4月21日(水)までに振り込んで下さい。
・15日の理事会に出席される理事は、昼食代(1000円)を、同様に振替用紙で納入して下さい。
☆昼食について
・16日の昼食が必要な方は、必ず事前にお申し込みの上、1000円をご入金願います。
・会場周辺には、日曜日営業の昼食ができるところはまったくございません。
☆宿泊・交通について
・本年は平城遷都一三〇〇年祭にあたり、季節としても観光のトップ・シーズンにあたります。したがいまして、近畿日本ツーリストを通じてホテルを確保しております。同封の別紙をファックスにてご利用下さい。なお、室数に限りがありますので、なるべく早くお申し込み下さい。
☆出張依頼状について
・出張依頼状は、学会事務局(早稲田大学)に、提出先と職名を明記の上、返信用封筒に80円切手を貼ってお申込み下さい。
※学会事務局 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1
早稲田大学社会科学総合学術院 内藤明研究室
電話 03-5286-1415
☆大会に関する問い合わせ
・奈良大学文学部 上野誠研究室 〒631-8502 奈良県奈良市山陵町1500
電話 0742-41-9514〔直通〕(不在が多く、なるべくEメールをご活用下さい。)
FAX 0742-41-0650(大学共通のため、宛名と差出人を必ず明記して下さい。)
Eメール uenom@daibutsu.nara-u.ac.jp



(2) 秋季大会案内

未定


(3) 例会案内

平成22年6月1日
上代文学会会員の皆様へ

例会・秋季大会研究発表会の開催方法の変更について

 去る平成22年5月15日(土)に開催された上代文学会理事会、および総会にて、平成22年度からの例会・秋季大会研究発表会の開催方法の変更が承認されたことをお知らせします。
 上代文学会は、昨年度まで、7月、9月、12月、1月の年4回の例会を開催してきました。しかし、大学をめぐる昨今の厳しい状況により、会場の確保がますます困難になり、確保できた場合でも会場校の負担が著しく増大しています。さらに、4回の例会の発表者を募ることも容易ではなくなってきています。
 そこで、例会を7月、および12月または1月の年2回の開催とし(各例会の発表者は、従来通り2〜3名)、その分、秋季大会研究発表会の発表者を、従来の3名から4名に増やし充実をはかることになりました。
 会員の皆様のご理解と一層のご支援をお願い申し上げます。

上代文学会7月例会御案内
日  時平成二十二年七月十日(土) 午後二時〜五時
会  場二松学舎大学九段校舎新3号館2階3021教室
研究発表 古事記における大物主神の位置づけ―神名・姿の変化を通して―
國學院大學大学院生 岡田裕香
(司会 早稲田大学教授 松本直樹)
西海道節度使をめぐる宇合詩と虫麻呂歌
東京医科歯科大学准教授 土佐朋子
(司会 大東文化大学教授 藏中しのぶ)
語りと文学
専修大学人文科学研究所研究員 伊澤正俊
(司会 明治大学教授 居駒永幸)
発表要旨 古事記における大物主神の位置づけ―神名・姿の変化を通して―  國學院大學大学院生 岡田裕香

 大物主神は多方面から研究されてきた。王朝交替を背景として大物主神をとらえようとする論や、祟り神であるこの神を民俗学の方面からとらえる論、また仏教受容にかかわると述べる論などがある。さらにこれらの論をふまえ、神名から解く論、古事記の文脈において大物主神がどのような存在としてあるのかを考察する論がある。これらは、大物主神を広義にとらえたものであろう。
 本発表では、文脈の具体的な表現、神名と姿の変化に着目して古事記における大物主神の位置づけの考察を行う。そして従来三輪山伝説は、古事記における大物主神の位置づけという観点からはあまり言及がないように思われるが、神々の祭祀条の説明的文脈であるこの記事は重要であると考えられることから、今回三輪山伝説をも含めて検討する。
 大物主神は、「美和之大物主神」「大物主大神」そして「意富美和之大神」という神名で登場する。この変化は「大神」の称が、ある特定された場所に坐す存在に用いられると考えられることから、固定化され祭られる存在になったと解釈することができるだろう。
 また、神武記で「丹塗矢」や「麗壮夫」、崇神記で「麗美壮夫」から異なる姿であると想定せざるをえない「自鉤穴出之状」というさまざまな姿で表記されている。ここで留意すべきは、姿表記の変化に際しては、他者の行為を介在していることである。特に、崇神記神々の祭祀条における大物主神の祭祀への説明的文脈になっている三輪山伝説での姿の変化は、その後の神名の変化にもかかわってくるのではないだろうか。そして、大物主神は他者の行為が介在することでその姿の変化がみられる、という過程を通して「意富美和之大神」という固定化され祭られる存在として描かれるのである。
 これが、古事記において祭祀により外の神を内へと受容する方法であると考える。そして、この過程によって、先行論に指摘する「天皇の支配による天下太平」がもたらされることとなるのである。
(八一八字)

西海道節度使をめぐる宇合詩と虫麻呂歌
東京医科歯科大学准教授 土佐朋子

 藤原宇合の西海道節度使拝命をめぐっては、『懐風藻』所収の宇合自身による詩と、『万葉集』巻六所収の高橋虫麻呂による歌(971・972)が残されている。本発表では、これらの作品が有する中国辺塞詩的発想を考察し、文芸的遊戯性の共有という二人の文学的交流の一端を明らかにすることを試みる。
 天平四年の節度使設置に関しては、歴史学の方面からの考察が蓄積されている。最近の考え方では、国内における軍団兵士制の弱体化と国際情勢の緊張とを背景に、律令に基づく辺境防備体制の整備と補強とを目的として設置され、その任務は、軍防令に基づく律令軍団のたて直しと、その運用マニュアルとしての「式」の制定であったとされる。それに基づけば、この節度使は軍の統帥権を有する中国節度使とは異なり、戦闘そのものを任務としておらず、実戦的性格を帯びたものではないことが明らかである。
 このような西海道節度使拝命にあたり、宇合詩は中国辺塞詩の発想を用いて、自らを辺地の軍事行動に従事する兵士として描く。中国辺塞詩における辺境流離の表現に基づく「往歳東山役 今年西海行」の対句を用い、辺境をさすらう一「辺兵」として自らを造形する。これに応える虫麻呂歌では、宇合を統率者として造形し、閨怨詩の発想類型と磐姫皇后を想起させる語句とによって、無事の帰還をまちわびる女を演出する。そして、辺境での「男児」の立功を志す中国辺塞詩の発想を用い、勇猛果敢な「男」たれと激しく鼓舞する。
 当時の律令知識人たちの動向からは、宇合の持節大将軍と西海道節度使任命が突出した辺地放浪とはいえない。にも関わらず、宇合は自らの境遇を大げさに嘆いて見せる。虫麻呂歌もまた、地方の軍事行政を整備・補強するために中央から派遣される一官僚に過ぎない節度使を、まるで部下を従えた統率者であるかのように、そして強大な敵との戦闘にも臨むかのように大げさに造形し鼓舞する。このような大げさな悲嘆の吐露に対する大げさな激励という現実とずれた誇張表現は、滑稽さやおかしみを帯びさせる。また、虫麻呂歌の場合、「言挙げ」せぬ勝利を願いながら、自らの歌が「言挙げ」になっているという、自家撞着的滑稽さも有している。
 宇合と虫麻呂はともに、中国辺塞詩の発想に準拠しながらも、文芸的遊戯精神に基づいてこれらの作品を競作していると考えられる。

語りと文学  専修大学人文科学研究所研究員 伊澤正俊

 二三年前に発表した「古代説話生成序説」(『専修国文』第四〇号)で、『古事記』の国生み神話が、無秩序に国を生み巡り、『日本書紀』が無秩序に生み巡るものと秩序的に生み巡るものがあることを明らかにした。『先代旧事本紀』は秩序的に生み巡る。これらは何を意味するのだろうか。天皇あるいは一族に近い人達が共有していた無秩序に生み巡るという行為は、昔語りを尊重し、シャーマンへの敬意があったのではないか。そこから『先代旧事本紀』への変遷は、語りの力の消滅を表わしているのではなかろうか。それに連れて日本を生み巡る恐威の国生み、語りの本来持つ荒々しい文学性が消滅してゆくと考えている。
 一方『日本書紀』第六の一書ではスクナビコナを「一箇の小男有りて、白蘞の皮を以て舟に為り、鷦鷯の羽を以て衣にして、潮水の随に浮き到る」とあり、これは神々が巡行する前の古い表現と考えられる。筆者はこれを非文学と見ている。しかし『日本書紀』第三の一書のスサノヲが追放される場面、「乃ち共に逐降ひ去りき。時に、霖ふる。素戔鳴尊、青草を結束ひて、笠蓑として、宿を衆神に乞ふ。衆神の曰はく、『汝は是躬の行濁悪しくして、逐ひ謫めらるる者なり。如何ぞ宿を我に乞ふ』といひて、遂に同に距く。是を以て、風雨甚だふきふると雖も。留り休むこと得ずして、辛苦みつつ降りき」は文学ではないだろうか。語りの中で文学を孕む場合とそうで無い場合があるようである。語りの中で文学は時間的な差異を持って発生するものではなかろうか。
 また真間の手児名伝説、菟原処女伝説を詠んだ共同体外の旅人が、文学性のある歌を読む事の意味と、その文学性を考えてみたい。
 最後に「事ノ 語言モ 是をば」の形を持つ天語歌は古い歌謡と考えられるが、歌謡本来の持つ文学性についても考えみたい。

○常任理事会(於、新3号館10階3101会議室)

<< 戻る