| 平成22年度 大会案内 |
| 期 日 | 平成22年5月15日(土)、16日(日)、17日(月) |
| 会 場 | 奈良大学
(近鉄京都線「高の原」駅からバスで10分)
〒631-8502 奈良市山陵町1500
電話 0742-41-9514(上野誠研究室) |
| 日 程 |
| ― 15日(土) ― |
| 理事会 | (正午〜午後1時30分)
奈良大学 大会議室 |
| 公開シンポジウム | (午後2時〜4時30分)
奈良大学 講堂
学会挨拶
代表理事 早稲田大学教授 内藤 明
挨 拶
奈良大学学長 石原 潤
テーマ「平城京研究と木簡研究の最前線―新たなる上代文学研究のために―」
平城遷都をどう考えるか
京都教育大学名誉教授 和田 萃
木簡研究が切り拓く文学研究
大阪府立大学教授 村田 右富実
今後の平城京研究と木簡研究
奈良国立文化財研究所史料研究室長 渡辺 晃宏
司会 奈良大学教授 上野 誠 |
| 上代文学会賞贈呈式 | (午後4時30分〜4時40分) |
| 総会 | (午後4時40分〜5時30分) |
| 懇親会 | 会場 菊水楼
○懇親会(午後6時20分〜8時30分)
「近鉄奈良」駅から市内循環ゆきバスで3分、「県庁前」下車、徒歩3分。
〒630-8301 奈良市高畑町1130
電話 0742-23-2001
会費 8000円 |
| ― 16日(日) ― |
| 研究発表会 | (午前10時〜午後4時40分) 奈良大学 C‐一〇二教室
《午前の部》
秋山春山譚―「昔」の位置づけ―
京都大学大学院生 村上 桃子
(司会) 早稲田大学教授 松本 直樹
葛城の一言主之大神
早稲田大学大学院生 藤澤 友祥
(司会) お茶の水女子大学教授 荻原 千鶴
――昼食――
《午後の部》
書紀歌謡1番の「廻」字についてー所謂β群の字音表記の在り方から考えるー
武庫川女子大学大学院生 亀山 泰司
(司会) 上智大学教授 瀬間 正之
「ますらを」と「ますらをと思へる我」
フェリス女学院大学非常勤講師 太田 真理
(司会) 日本大学教授 梶川 信行
隣の衣を借りて着なはもー『万葉集』東歌三四七二番歌の解釈―
武蔵野大学非常勤講師 渡部 修
(司会) 早稲田大学教授 高松 寿夫
万葉集巻七・人麻呂歌集「巻向・三輪歌群」試論
東京女子大学教授 鉄野 昌弘
(司会) 日本女子大学教授 平舘 英子
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| ― 17日(月) ― |
| 臨地研究 |
「馬場南遺跡・平城宮大極殿・馬見丘陵古墳公園・当麻寺」(午前八時三十分〜午後五時)
一、集合場所 奈良県物産館前(近鉄奈良駅、行基像前から徒歩一分)
一、集合時間 午前八時三十分
一、見学コース 馬場南遺跡・平城宮大極殿・馬見丘陵古墳公園・当麻寺(一次解散 近鉄大和八木駅、二次解散 近鉄奈良駅)
一、案内 辰巳和弘(同志社大学歴史資料館教授)・井上さやか(県立万葉文化館主任研究員)
一、費用 8000円(バス代・見学・昼食代を含む)
一、人数 郵便振替での参加費用受領順に45名で締め切ります。
一、解散時刻は、道路事情で前後します。帰りの切符は余裕をもって手配して下さい。
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| 発表要旨 |
秋山春山譚―「昔」の位置づけ―
村上桃子
古事記中巻応神条の末尾には「昔」から始まる天之日矛と秋山春山の話が記される。この両譚の位置づけについて、従来応神条の文脈から遊離した付加的な部分とされてきた。発表者は天之日矛譚が仁徳条につながる難波と日(太陽)の神話であり、下巻に連なる神話部分であることを考察した(「天之日矛譚―『古事記』下巻への神話として―」『萬葉』二〇三号 二〇〇九年一月」)。その後続の秋山春山譚も同様に下巻とのつながりを有する譚であると考える。
ここで『古事記伝』が「此段の故事凡て神代めきたるは、いといと上代の事とぞ聞ゆる」と述べていることに注目したい。ここに上巻に見られる話型(八十神の求婚・兄弟争い・丹塗矢型神婚)や表現が散見することは、古事記の中でも上巻に並ぶ神話の質をもつことを示している。本譚は神を主体とした物語であり、上巻にあらわれた人間を指す「青人草」の呼称がみられることもそれを端的にあらわすだろう。
秋山春山兄弟の名は従来、風雅の点から捉えられることが多かった。しかし春秋があらわす最も根本的な意味は農耕の周期であり、山の神と農耕のかかわりは深い。母親の協力を得て春山之霞壮夫が伊豆志袁登売神と神婚を遂げるのは、その名が新生・更新をあらわす「春」であるためではないか。そこには下巻という新たな周期をもつ時代のはじまりとが重ね合わされ、中巻末においてそれを祝福する意図がみとめられるのである。
「古」が過去から現在へと続く時間であるのに対し、「昔」は恣意的な過去としてある。ここの「昔」は新羅に端を発する過去が、親征を経ることで倭の時間軸に編入されるそれと位置づけられる。倭の国つ神の代表的存在である山の神・春山之霞壮夫と、新羅の王子・天之日矛が将来した宝の娘・伊豆志袁登売神との神婚は、そのふたつの時間軸が結合し、倭に定着する象徴ともいえる。
このように中巻末における「昔」の譚は、下巻始発のための予祝の意味をもつ挿話としてあると考える。
葛城の一言主之大神
藤澤友祥
当該条は、『古事記』下巻で、託宣や夢にではなく、神が現実に現れる唯一の物語である。下巻は「人の代」と評されることが多いが、そのような下巻の中で、神が登場する当該条の担う意義について考察する。当該条は『日本書紀』にも類話が記されているが、両書間の差異は少なくない。『古事記』では当該条の直前に葛城山の猪の記事が配されている。『日本書紀』では一事主神の記事の後、吉野行幸記事を挟んで葛城山の猪の記事が記されており、その内容にも異同がある。『古事記』については、猪は葛城山の神であり、その神の掌握に失敗したとする指摘がなされている。山で猪に出会うという文脈展開からは、中巻においてヤマトタケルが伊服岐の山で猪に出会う場面が想起される。しかし、ヤマトタケルの場合、誤った言挙げによって死への展開がもたらされているのに対し、葛城山の猪の場合、そのまま当該神話に接続し一言主之大神と雄略天皇との調和が描かれている。同じような文脈展開から全く異なった結果が導かれているのである。ここに中巻と下巻との、神と天皇の関係の変容が示されていると考えられないだろうか。当該の一言主之大神の場合、畏敬すべき存在でありながらも、あくまでも王権の側からの働きかけで祭祀(掌握)され得るものとして描かれていると捉えられないか。当該条を雄略個人の資質に帰して結ぶ(『日本書紀』)のではなく、神の顕現で閉じる(『古事記』)のは、その関係がある特定の天皇つまり個の資質の優劣ではなく、神と天皇のありかた全般について語る目的があったからであろう。神が偉大であればあるほど、それを祭祀し得る天皇もまた偉大である。また、雄略天皇の発言中に「宇都志意美」とあり、君臣の関係にも言及している。神と天皇の偉大さを強調し、君臣のあるべき姿を神話によって語り、神と天皇の関係を確立するのが当該条の狙いであると考える。
書紀歌謡1番の「廻」字について──所謂β群の字音表記の在り方から考える──
亀山泰司
当該歌謡第五句「贈廼夜覇餓岐廻」の「廻」(上代資料中の孤例)については、古写本などの訓みが悉く「ヲ」であるにも拘らず、大野晋(1953)が漢字音の面から「ヱ」と訓んで以来、これを採用するテキストが少なくない(定本・大系・新編全集)。しかし、以下の諸点をあらためて踏まえると、漢字音の面から見ても、オ列の「ヲ」に〔灰〕韻字の「廻」が充てられた可能性は十分ある
@ 当該歌謡においては、「ツ」に次清音字の「菟」が用いられ、その他にも「β群には見らα群には見られない字種」(句、茂、毛など)が高い密度で用いられる。したがって、当該歌謡の所属はβ群と見てよい。
A α群では、〔咍〕・〔灰〕両韻字(違いは開合のみ)がエ列乙類(及びア行のエ)専用であるのに対し、β群では、オ列にも〔咍〕・〔灰〕両韻字が多く使われる(苔43、廼21、耐6、倍6、陪1、梅1)。就中、たとえば「倍」字の場合、エ列(「へ」が5例、「べ」が3例)とオ列(「ホ」が6例)に殆ど拮抗して使われる。
B 「日本書紀には新来の漢音系字音を背景とする仮名が使用されるが、そのうち、β群は古事記と共通する呉音系字音を背景にした仮名(及び一部には更にそれ以前の仮名をも)を混在させるものであった」(沼本1986)という把握は概ね首肯でき、オ列に使われる〔咍〕・〔灰〕両韻字は、「それ以前の仮名」(即ち呉音系字音より更に以前の古音を背景にした仮名)に該当すると考えられる(沼本1997など)。
結局、「廻」の呉音が「ヱ」であっても、紛れもなくβ群の当該歌謡においては、「ヲ」に「廻」が充てられた可能性を十分に想定し得る。その一方、各者の指摘の通り、語法の面から言えば、体言に後接する「ヱ」(助詞)は例が皆無であって、認定し難い(時代別国語大辞典も認定していない)。「ヲ」であれば、終助詞と見るか、間投助詞と見るか、係助詞の終止用法と見るかはさておき、「文末にあって活用語の連体形・体言につき、文の内容に対する確認を表わし、詠歎の意を添える」(時代別829頁)用法として、よく理解できる。以上に鑑みて、当該箇所の訓みは「ヲ」でよい(古写本などの通り)。
「ますらを」と「ますらをと思へる我」
太田真理
「ますらを」とは元来、身体的・精神的に勇猛ですぐれた男性の意であり、のちに官人の意としても用いられたとされるのが一般的な理解である。ところが、万葉集の例を探ってみると、他者が誰かの「ますらを」としての輝かしい姿を詠むというよりは、「ますらをと思へる我」という形で、自らを「ますらを」と規定しながらも、「ますらを」らしからぬ恋の思いに沈潜し、思い悩む心の状態をうたったものが多い。そもそも「ますらを」の理想とはどのようなものであったのか。本来的に持っていた語義を確かめるとともに、それが相聞歌の用語として詠まれるときには、どのような言葉と結びつき、いかなる表現性を持っていたのかを分析し考察する。
中でも注目したいのが、柿本人麻呂の所謂「石見相聞歌」である。「石見相聞歌」においては、その第一歌群と第二歌群のあり方に大きなギャップがあるとされてきた。第一歌群の、山をも動かそうと呼びかける男の雄々しさに対し、第二歌群の「ますらをと思へる我」の涙は、女々しく迫力に欠けるものとして、それぞれの歌の評価にまで影響を与えている。
しかしそれは、「ますらをと思へる」というただし書きをいれることで、「ますらをらしさ」という制約を一旦取り払ったところに、男の、より哀切な恋の心情を逆説的に強調したものと解すべきであろう。人麻呂は、「ますらを」の意識をめぐって一人の男の中にある、相反するかのように見える二つの心の有りようを二つの歌群に託したのではないか。
さらに、相聞歌に表われた「ますらをと思へる我」の歌の表現は、一方で「たわやめ」の恋する様態と近接すると考えられる。「ますらを」の歌表現を考えることは、女性の相聞表現を考えることに繋がることについても触れていきたい。
隣の衣を借りて着なはも―『万葉集』東歌三四七二番歌の解釈―
渡部修
『万葉集』東歌三四七二番歌「人妻とあぜかそを言はむしからばか隣の衣を借りて着なはも」の下の句は、古注以来「隣の衣服を借りてきることがないだろうか、いやあるではないか」と反語に解するのが一般である。この解は、近隣での衣の貸し借りを「常にあった」ことと推定し(『釈注』)、人妻に交わる禁忌と日常よくあることとを対比させた点に歌の「戯笑性」を認めようとするものである(『全注』『釈注』))。
しかし、『万葉集』中、キヌ・コロモを貸し借りする例は当該歌を除いて三例しかない。しかもそれらは皆、妹背の間の貸し借りに限られる。他人同士のキヌ・コロモの貸し借りを詠んだ例は当該歌以外には存在しないのである。
そもそも、古代において衣服は、それを着る人の魂が籠もるものと信じられていた。「袖」は幣として神に捧げられもしたし、恋しい人と夢の中で出会うために返して寝ることもあった。また、同じ東歌三三五〇番歌の「君が御衣しあやに着欲しも」は、自らの恋の成就を相手の衣服を着たいという歌句に託して願っている。これもまた、キヌ・コロモの貸し借りを妹背の間に限る集中の用語例に異ならない。
こうしたキヌ・コロモが、他人同士の間で日常的に貸し借りされたとは考えがたい。「隣の衣を借りて着る」ことは、逆に一つの禁忌であったとすべきである。そしてそれは、成句として広く知られたものであったとも思われる。それ故にこそ、人妻であることをことさらに言い立てる相手への揶揄として、あたかも禁忌ではないかのように転じて用いられた。当該歌の「戯笑性」は、禁忌と日常とを対比させた点にではなく、同じ禁忌の一方を禁忌でないと転じて用いたところに起因しているのである。「隣の衣を借りて着なはも」は、そのように解釈し直されるべき歌句であると考える。
万葉集巻七・人麻呂歌集「巻向・三輪歌群」試論
鉄野昌弘
万葉集中で、巻向周辺を歌った歌は、人麻呂歌集非略体歌に集中しており、これを「巻向歌群」と称することもある。ただしそれは巻七・十・十一などに散在しているし、中心となる巻七の中でも「詠雲」「詠山」といった題のもとに、あちこちに配置されているのであって、まとまった、例えば「石見相聞歌」群のような扱いができるわけではない。人麻呂歌集で、もとどのような状態だったかを問題にしても、臆測の域を出ないだろう。
しかし「巻向歌群」に独特の歌が多いことは確かである。特に巻七の歌は、大きく@天候のダイナミックな変化を描き取る自然詠、A土地ぼめの歌、B亡くなった人に思いを馳せ、人の世の無常を歌う歌、というグループに分けることが出来、それぞれに非常に特徴的である。しかもそれらは、互いに表現上の関係を持っていることが看取される。加えて、Aの中に、巻向山と三輪山との続き具合の良さを歌う作(一〇九三)があるのに注意される。それは、他に三輪の檜原を歌う「詠葉」二首(一一一八〜九)があって、明らかにBと主題を共通することによる。これらを含めて、「巻向・三輪歌群」と見る時、巻七の中に散在するままに、歌が互いに響き合っているさまを、よりはっきりと見て取ることができると考える。
かつて武田祐吉氏は、巻向における、人麻呂の悲劇的な恋を、この歌群の背後に想定した。しかし「古にありけむ人」(一一一八)から考えると、これらの歌は、巻向・三輪という古い来歴を持つ地に立って、その景を詠じつつ、この世を支配する時間に思いを及ぼすもののように思われる。これらの歌には、「動乱調」と言われるような、人麻呂作歌との方法的関連を持つ歌が含まれている。主としてその観点から、巻七「巻向・三輪歌群」の歌々を読み直してみたい。 |