日本の山村民家パリに行く


長く木曽の生活を研究してきたフランスの民族学者に、農民から家屋が贈られた。日仏文化交流をめざし農家をパリに移築するプロジェクトがいま、すすんでいる

ジャーヌ・コビー

ジャーヌ・コビー
パリ大学卒。民族学博士。社会科学高等研究院付属現代日本研究所研究員を経て、82年から国立科学研究所主任研究員。95年に国立民俗学博物館客員教授をつとめた。日本文化の研究家として知られる。

小松左京

小松左京
作家。1931年、大阪市生まれ。京都大学文学部卒。73年『日本沈没』で日本推理作家協会賞、85年『首都消失』で日本SF大賞を受賞。他に『復活の日』『エスパイ』『継ぐのは誰か?』など著書多数。

フランスから木曽の農村ヘ入る

小松 コビーさんはいま、日本の民家をフランスに移築して、日本庶民生活博物館を設立しようとしていますね。あなたと僕が知り合ったのは何年前だっけ。あのときもう、日本語をしゃべれてたね。

コビー 25、6年前です。東洋学校を出ていますから、ある程度日本語はできたけど、不自由していた。東大の農村社会学の研究室に入ったわけです。だから、フランスの学生の五月革命を知らないのよ。

小松 どうして農村社会学に?

コビー 私は民族学が専門なんです。東洋学校卒業後、パリ大学で民族学を学んできたので人類学か民族学をやりたかったけれども、東大の人類学は、中根千枝さんとか、泉靖一さんもみんな外国の文化を紹介してるわけ。日本のことを直接教えてもらうところというと、福武直先生の農村社会学だった。

【中略】

内景

民俗無形文化財保持者との出合い

コビー 村に入る前に、「麻を織ってるお婆さんがまだいますよ。そこに行ってみましょう」と向山先生に言われました。バスに乗って遠くまで行って、バスから降りて細い道をまた3キロぐらい歩く。すごい所に入ったわけです。ドアをちょっとおして「ごめんください」って言ったら、囲炉裏の周りにお婆さんと子供たちが坐ってるわけです。私の学生時代の夢が現実にそこにあって、びっくりした。それこそ、溝口健二監督や黒澤明監督の映画そのままの世界があった。私が東洋学佼に行ってる時代に、そういう映画ばっかり見て、こういう日本に行くのが私の夢だったんです。黒澤の『蜘蛛巣城』の冒頭のシーンがすごい印象的でした。深い森のなかに小屋があって、なかで白髪のお婆さんが不思議な歌を歌いながら糸車を回してる。すごく神秘的なシーンだったわね。それと同じような雰囲気が残ってたわけです。溝口とか黒澤の映画なんか見なくても、この日本のなかにあるじゃないかと思った。家そのものもすごかったんです、古くて。

小松 家は大きかった?

コビー 小さい、木材の家。入る前にすごい匂いがした。後からわかったんだけど、山羊の雄がいたわけ。村に頼まれてこのお婆さんが育てているから。なかに入ってみると、昔の家の構造そのままですよ。

小松 全部、黒く煤けてる?

コビー 綺麗ですべすべなんですよ、全部。真っ黒の木材で。綺麗に毎日、拭いているそうでした。

【中略】

櫛

それ自身が庶民生活の博物館

小松 あなたそのお家に20何年かかわってるわけ?

コビー 28年ぐらいです。私がいちばん印象的だったのは、もちろん家もそうだけど、その家族の雰囲気とそのお婆さんの精神。そのお婆さんは田舎の、半分に背中を丸めて歩いてるお婆さんで、目がパチパチして、鋭い目つきでしたの。それなのにまろやかな感じですごく優しい。困ったときに、まずこのお婆さんのところに行って相談にのってもらうと、間違いないですね。このお婆さんに教えてもらうこと、すごいです、いつも。

【中略】

膳 コビー そう。その家にはもう誰も住んでいず、お婆さんたちが使ってた道具がそのまま置いてあるわけです。機織り機、囲炉裏ももちろん。それから、足膳とかそういうのもまだ残ってるわけですよ。このあいだ、お掃除してきたけど。

小松 それ自身が小さな博物館だね。

【中略】

コビー 伝えたいということは、確かにそうですね。しかし、古い民家というだけならば、日本じゅうどこにでもある。たとえば私が友達に話をしたら、「京都なんか、すごい素敵な家があります。それを持っていけば」と言われたんです。それもいいけど、それは他の人ができるでしょうし。この家は、古いということだけで、木造の建築としてそれほどの素晴らしいものではないけど、昔の技術を保っていることと、もうひとつ一緒に行くのは、歴史。その家だけではなくて歴史が行くの。家族の歴史と、それからある社会の階層の歴史も一緒に行くということが、すごく私は大事だと思います。だからその歴史を大事にしたいです。私が自分の目で見なかったら、その歴史は知らなかったわけです。自分がわかっている歴史を確かに伝えたい。

【中略】

 この家も、人間が住むのにただ機能的であるだけじゃなくて、美しくしようという気持ちがあるわけです。すすで黒くなったりするということと、毎日どうしてお婆さんたちが木綿の布巾で拭かないといけないかということとかね。そういうのが根本的にわかれば、日本の文化のなかの美しいという概念がわかるんじゃないかという気がする。

【中略】

近景

パリで出合う日本のくらし

コビー なんとかフランスに持ちかえりたいけれど、どうしようかと思って、2、3年間ぐらい考えていたわけですけれども、梅棹忠夫先生から始まって、皆さんに話をしてこのプロジェクトが始まりました。

小松 移転費がかなりかかるでしょう。それで梅棹さんが、万博記念財団の補助金の交付を申請して、それでどんと、かなりの額が付いて、それで募金が始まってるんだよね。運が悪いことに、バブルの崩壊のためにいま苦労してるんだけれども。トータルで5千万円ぐらいいるんでしょう。

コビー いまのところ、どのくらい集まったんだろう。まだ2千万いってないんですけれども、とりあえず移転費用は早急に、2千万円は必要で、第一次募金計画としては2千万円を目標にして、ひろく寄付をお願いしています。移転場所は、いろいろ見てきたけど、可能性として、たとえぱ南仏のニースにもできるし、モナコでも「ここにすれば」と言われたし。もしパリ市街のほうがうまくいかなかったら、ニースに行こうかと思うけど。

小松 行こう、行こう。(笑)

コビー だけど、できればパリのほうがいいと思うから。べルサイユ宮殿公園のなかの国立自然史博物館樹木園というのができたわけです。樹木園といって、いろいろな、世界じゅうの木が集まっています。アジア関係の木もだいぶ植えてあるので、そのアジア部分に移築しようかと。そして周りに信州の植物を植えたいわけですよ。山椒の木とかえごまとか。気候的には全く問題ない。

遠景 小松 庭園、菜園を添えておくとね、ひとつの生活系全部が行くのでしょう。

コビー 大変だけど、だんだん面白くなってきました。いろんな人にいろんなことを聞かれるので、だんだん細かいことまで考えるから、形がはっきりしてきます。日本の文化が生みだした家と、環境を丸ごと持っていきたいです。

小松 普通の寒村の、つましい人たちの文化が生みだした美しいものだな。バブリィな時代が過ぎて、やっと落ちついて価値観を見直すことができるようになった。いままでみんな、何でも簡単に手に入れられるという意識だったけど、やっと自分が持っているもののなかで、歴史的に持っているものの大きな価値を見直そうということね。じつは自然もそうなんですよ。だから、百年間の御嶽山の麓の、もう若い人じゃわからないかもしれないけど、それをちゃんと理解したかったらパリへ行けって、これ面白いと思う。日本人も、パリへ行ったら自分の価値がわかるし、それからヨーロッパの人たちも、それを見てくれるし。

コビー パリに行くと日本の文化がそこにもあるということがすごくいいことではありませんか。ヨーロッパに日本の古いものがあることで、日本の文化を客観的に見られるでしょう。日本のなかにあると見過ごしてしまうでしょう。

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 TEL(03)3234−5581
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『フランスに日本庶民生活博物館を設立するための募金要項』はこちらをご覧ください

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