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中西印刷活版ミニ博物館
概要 展示物 活版 植字 植字台 プラテン活版印刷機 西夏文字字母 関連リンク 概要
中西印刷は1880年頃から1992年まで100年以上にわたって、鉛を使った活版印刷を行ってきました。「活版の中西」は平版印刷が主流になった1980年代にあっても中西印刷のキャッチフレーズであり続けました。1990年代になると、さすがに時代の波に抗しきれず、電子組版平版印刷へと移行していき、活版の最後の日は1992年6月13日でした。活版を廃止するとき、活字をはじめとした多くの機材は捨てざるをえませんでしたが、活版印刷の改善に苦労してきた、当社前社長中西亮(1928-1994)はこれを惜しみ、いくつかの機材を未来に残しました。これらの機材は、長年倉庫の片隅で埃をかぶっていましたが、活版廃止後15年を前に、整理して展示することとしました。これが中西印刷活版博物館です。博物館というにはあまりに規模が小さく、ミニを前に冠させて頂きました。 小さいながらも、活版印刷をささえた機材がもれなく収集されており、また、京都が戦災にあわなかったこともあって、昭和初期以前の機材が数多く残っていることが特徴です。ことに大活字については、古い物が数多く残されており、詳しい研究が待たれます。現在、一般公開はしておりませんので、ホームページ上で公開することといたしました。 展示物
鉛でつくられた凸版のハンコといえるものが活字です。これを並べることで印刷版がつくられました。中西印刷は明治から約百年間、活版専業だったため、各時代の活字が現存しています。活字の色の違いは作られた時期により、表面の酸化度合いが違うためです。古い活字は明治大正期からのものもあるはずです。活字は最末期の活字でも初期の活字でも混在して使えるほど標準化されていました。それだけ早くに完成した技術ともいえます。(年代不明)活版
活版は活字を組んで印刷できる状態にした版の事です。活版というと活字ばかりで組み立てられているように思われていますが、ページを構成するには間や余白が必要です。これらをインテルやクワタといいました。それらをまとめて職人さんが組み上げ、最後は糸で巻いてとめます。(2005年復元)植字
植字風景です。実際に2005年に復元作業をおこなったときものです。最盛期にはこうした職人さんが中西印刷には何十人と勤めていました。(2005年)植字台
活字やインテルを集めて活版を作るための作業台です。この台は中西印刷最後の活版台を使われていた当時のまま保存しています。(1950年代、1992年6月13日の状態で保存)。右に見えている黒い機械は活版を鋳造するための鋳造機です。(1940年代)プラテン活版印刷機
ドイツハイデルベルグ社製プラテン印刷機です。プラテンは平圧をかけるのでスピードはあがりませんが、印刷物の形状に制約が少ないため、1960年代まで使用されていました。第3代社長中西勝太郎が勧業博覧会で購入した当時3台輸入された内の1台と伝えられています。(1928年)西夏文字字母
凸型の活字を鋳造する元になる凹型の原盤が字母。耐久性が求められるので真鍮が使われます。活字そのものは字母さえあればいくらでも鋳造できますので、印刷会社の真の財産は字母と言えました。大事に保存されていたため中西印刷にも字母は数多く現存します。写真にあげたのは西夏文字字母。中西印刷は特殊活字を多数所有することで有名でしたか、その極みともいえるのが、この西夏文字です。西夏文字の解読で知られる京都大学の西田龍夫博士の求めに応じて、当社で作成しました。西夏文字字母は世界中でも当社にしか現存しません。(1973年)リンク
中西亮コレクション |